「現代文」の授業って何すればいいの?

「国語」で身につけるべき力とは?

SNS上で目にした「ロカルノさん」という方の「ならずものになろう」というブログの記事。

このブログで取り上げられている本を僕はまだ読んでいないけど、次の一節には心から同意する。

多くの人は、むしろほとんどの人は学校の国語の授業で「何を学んだかわからない」というのではないだろうか。「覚えていない」ではなく「わからない」である。意地の悪い言い方をするならば、「やってもやらなくても同じだった」という感想も少なからずあるのではないだろうか。

そんな「何をしている分からない国語」から、そろそろ脱却しなければいけない時期なのだ。

よく「国語って大変ですね~何教えるの?」と訊かれることがある。それで「どんなことを学びましたか?」などと訊くと、たいてい「なんだったかなぁ~」とか、「えーと、ほら『舞姫』とか?」とかという答えが返ってきて、哀しくなることが何度もあった。

「何をしているか分からない国語」──それが世間の多くの人の国語教育に対する印象だと思う。

「現代文」って何なんだろう?

特にやっかいなのが「現代文」だ(この科目名もまもなく消えてしまうが……)。

「古文」や「漢文」ならば、単語や文法、背景知識など、何を教えるかはまだ明確だ(本当はそんなに単純なものではないのだけれど)。何より、知識や技能の面で教師のほうが生徒よりも圧倒的優位に立てる。

ところが、「現代文」ときたら、どうだろう

「読めばわかるものをなぜわざわざ時間をかけて教えるのか」とか「読めばわかるものを題材にいったい何を教えればいいの」とか、この問いに対して明確に答えられる国語教師が果たしてどれくらいいるだろうか。何を、どうして教えるべきかがこれほどあいまいな科目もない

さらにいえば、僕なんかよりよほど「深くて良い読み」をする生徒がいたりするし、そもそも「深くて良い読み」とは何なのかとか、「答えなんてないじゃないか」とか、とにかくこういう悩みが尽きないのが「現代文」だ。というか、「現代文」教師の専門性ってどこにあるの?

6年前、教員4年目で今の学校に移ってきたとき、新人歓迎会で目の前に座った生物の先生に「現代文って何のためにやるんですか?」と問われて、明確に答えられなかった。そのときは「自分のものの見方を相対化して……」とゴニョゴニョするのが関の山だった。

その夜、帰り道で頭の中がグルグルしていたのをよく覚えている──「おまえが教える現代文って何なんだ??」

「現代文」の授業という時空間(2016)

そのとき自分は「現代文」で6年間同じ学年を持ち上がってみようと決意をして、いまその学年が高3になっている。

同じ学年を持ち上がってみて、うまくいくこともいかないこともあったが、「現代文」の授業という時空間について、昨年僕なりに次のようにまとめてみた。

  1. 知的世界の入口へ誘う時空間
  2. 「見えないものをつかむ力」を培う時空間
  3. 表現への「眼」を開く時空間 
  4. 自分の意見を発信する力とともに、相手の意見を受け止める(≠受け容れる)力を培う時空間
  5. 語りえぬものや言葉にならない違和感への感性を育む時空間

 

この一つ一つについて詳しく書こうと思ったのだけど、そうするとかなりの長さになりそうなので、それはまた続きの記事を日を改めて書いてみようと思う。

「どんな力をつけてもらいたいか?」

ただ、現時点で次の2点ははっきり言っておきたい。

まず、やれ「アクティブラーニング」だとか、「主体的・対話的で深い学び」だとか世間は騒いでいるけれとも、教員側に「どんな力をつけてもらいたいか」という明確なビジョンがなければ、いくら方法論を学んでも実りある学習にはならないのではないかということ。

第2に、その「どんな力をつけてもらいたいか」というのは、学校の現状や目の前の生徒、さらには自分たち教員と生徒との関係によって変わるものだということ。

休み時間も議論を続ける生徒たち

だから、上の5つも、これらはあくまで僕と自分の生徒との関係のなかで見いだされてきたものであり、これがすべてではないし、当然正解ではないということだ。

実際、2017年現在、主体としての僕の変化によって、上の5つはもう僕のなかで旧いものになりつつあるし、今も「現代文」や「国語」という教科がどんな役割を持っているのか、迷いや悩みばかりだ。

ただ、こういうある種の思想のようなものを、迷いや悩みも含めて互いに発信し合って共有をすると、目の前の生徒への見方が変わるということもあると思う。

自分は他の人の考え方をそのように捉えようと思っているし、このブログ記事もそんなふうに捉えてもらえたら幸いだ。

 

2 件のコメント

  • どうもこんばんは。小学校教諭で専門が国語のなかじです、お久しぶりです。

    現代文で扱う「内容」は、「文章」ではないでしょうか。小学校でいうと「物語」や「説明文」にあたると思います。わたしは小学校国語の読むことで育てたい資質・能力(「指導する内容」ではなく)の一例として、「論理的思考力」を挙げると分かりやすいのではないか、と考えています。

    • コメントありがとうございます!
      「論理的思考力」、たしかに大切ですよね。
      「内容」については、もう少し広く「言語で表現すること・されること」と僕は捉えていますが、なかじさんのように育てたい資質・能力をそのつどはっきりさせて臨みたいなぁと思います。
      いっぽうで、「どうなるかわからない」ワクワク・ドキドキも大切にしたいと思う自分もいたり……また語り合いましょう!

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