「失敗〝こそが〟良い時空間」──応用インプロの力

「インプロ」とは、「即興」を意味するimprovisationの略語で、脚本も設定も役も決まっていないなかで、その場で出てきたアイデアを受け入れあい、ふくらませながら物語をつくっていく演劇のこと。最近、学校教育や企業研修にトレーニング手法として応用的に取り入れられはじめている。

僕が「インプロ」とはじめて出会ったのは、2016年2月に世田谷パブリックシアターで行われた中学生向けのワークショップに参加したときだ。このときワークショップを担当していたのは、即興実験学校の高尾隆さんだった。高尾さんは演劇教育を専門とする大学の先生でもある。
このワークショップで、僕は、高尾さんの巧みなファシリテーションによって、「失敗すること」のハードルが下がるばかりか、その価値が反転し、時空間全体が「失敗することが良い」ものになっていることに感銘を受けた。

一例を挙げよう。
高尾さんは、ワークショップのなかで「さしすせそ禁止ゲーム」というインプロゲームを取り上げた。これは、2人組になってある状況を演じる際に「サ行」の言葉を言ってはならないという縛りのあるゲームで、まぁインプロゲームにはよくあるものだ。たとえば、医者と患者という設定で即興で演じ始めて、医者役の方が「今日はどうしましたか?」と言った瞬間ゲームオーバーである。
僕にとって印象的だったのが、このゲームでは「失敗しない(=「さしすせそ」を言わない)」ということが実につまらなく、場を白けさせるということだった。裏を返せば、このゲームでは、真剣に取り組む参加者が「失敗する(=「さしすせそ」を言ってしまう)」ことこそが面白いのであって、観客にまわった参加者たちもそれを期待していた。つまり、このとき、ワークショップ全体が、「失敗〝しても〟良い時空間」であるばかりか「失敗〝こそが〟良い時空間」になっていたのだ。

 教育の現場、日々の教室において、「失敗〝こそが〟良い時空間」などあるだろうか。「失敗する経験、挫折経験が大切だ」とか「失敗してもいいんだ」とかと、僕たち大人はしばしば口にするが、本気でそう思っている大人、あるいはそのように生徒も教師も本気で思える時空間は、はたしてどれだけあるだろう──こんな想いに至ったとき、この「インプロ」という演劇的手法が、僕が日々付き合っている生徒の成長に大きく資するもののように感じられたのだ。

目の前で起きていることや自分自身の体験したことが本質的な部分で国語教育につながるものと直観したのもこのときだ。そして、演劇と国語教育との関係や、演劇の国語教育への応用可能性について明確に言語化したいという内的欲求が生じた。
この挑戦は、今まで多くの先人達が試みては「挫折」したことのようで、どうやら「茨の道」のようだ。もちろん、国語教育のメインストリームではなく、「脇道」もいいところだ。
けれども、「茨の道」「脇道」だからこそ、挑戦してみたい──そんな想いが募っている。このブログは、その「茨の道」「脇道」を、一人の国語教師が辿っていく記録として、そして同じようなことに関心を持つ人の助けとして役立てばと思っている。

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